高岡大仏史について

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史料から読み解く高岡大仏史

高岡大仏の歴史を取り上げる雑誌や一般書だけでなく、特に近年インターネット上で公開される関連情報が、相当の数にのぼってきていると実感しています。ところが、大半の情報に出典や根拠の記載がありません。そうした情報に接するたびに、本当のところはどうなのだろう、という疑問が私たちの中に蓄積されていきました。
映像作品LinkIcon「高岡大仏 歴史編」の製作は、こうした疑問を解消しようと努めた過程でもありました。
 
本コーナー「探求 高岡大仏史」では、すでに公開情報として定着しつつある「事実」の出所とその根拠を求めつつ、高岡大仏の歴史的な事象について改めて個々の史料にあたり、確実性の高い「事実」、矛盾する「事実」、そして誤った「事実」について確認し提示するとともに、私見ながら歴史的な解釈を試みようとするものです。
 
まだまだ公表に値するものではありませんが、この場を介して誤りがあればご指摘いただき、少しずつ役立つコンテンツへ成長させていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
 

大仏の大きさを例に 

高岡大仏 昭和8年竣工時お稚児さんの記念写真(熊木俊彦氏所蔵)高岡大仏 昭和8年竣工時、お稚児さんの記念写真(熊木俊彦氏所蔵) 
公開された高岡大仏に関する情報とその根拠を問題にするにあたり、大仏の大きさをその一例として紹介しましょう。
 
現在の銅造高岡大仏は、史料によりその存在が明確なものとしては三代目の大仏ということになります。
初代大仏が文政4年(1821)に焼け、再建された二代目大仏(木像)が明治33年(1900)の高岡大火で焼失、それから30年以上を費やして銅造の三代目大仏が完成し落慶法要が執り行われたのは、今(2008年)から75年前の昭和8年(1933)のことでした。


 「高岡大仏尊像修補荘厳大工事」既設参考図(図面番号Aー7)(大仏寺所蔵)「高岡大仏尊像修補荘厳大工事」既設参考図(図面番号Aー7)(大仏寺所蔵) 
難産の末に完成し、今日なお威容を誇る三代目高岡大仏は、銅造阿弥陀如来の坐像で、再建時(昭和8年)の大仏の大きさは光背を含め高さ約7.4メートル(約2丈5尺)に及びます。そのことは、当時の記述(「高岡大仏事業報告書」0515_060812-606)や、昭和55年(1980)に作成された、移設以前の測量とみられる図面(右図)からも明らかです。 
 
さかのぼって二代目大仏ですが、筆者らの調査で新たに見出された建立当初の史料や、明治33年の焼失以前、つまり二代目大仏が存続中に記された複数の記録によって、いわゆる「丈六」の大きさで、木造の坐像であることが明らかになっています。(詳細は後述予定)
 

初代大仏は3丈2尺それとも4丈5尺? 

ところが、一般に延享2年(1745)が造立年とされる初代大仏の大きさについては、その根拠ははなはだ不明瞭というほかありません。3丈2尺(約9.7メートル)という数値が通説になっていますが、大半の書でその典拠が明示されていないのです。たずねてみたところ、どうやら明治28年(1895)発行の『高岡市沿革志』[0515-41.30]がその出所と推定されました。次の記述です。
 
「定塚町ニ大仏ヲ建立ス金色ニシテ三丈二尺ノ座像ナリ」
 
『高岡市沿革志』は、永禄2年(1559)から明治28年(1895)までを対象に、高岡市における歴史的事象を年代順に並べたものです。大仏について特別関心が払われたわけでないことは、初代の焼失(文政4年)や天保12年(1841)とされる二代目大仏の造立について記述がないことからみても明らかでしょう。
 
明治40年「大仏再建旨趣」(大仏寺所蔵)延享二年……四丈五尺ノ仏体ヲ造リ明治40年「大仏再建旨趣」(大仏寺所蔵)よりしかし管見の限り、これより古い記録、ましてや初代大仏がまだ存続していた当時の記録に、その大きさや彩色の状況、木像か銅像か、あるいは座像か立像かといったことを直接的に示す史料を見出すことができません。
従って、もしこの『高岡市沿革志』一点のみを根拠として3丈2尺説を採るのなら、その刊行年が初代大仏の焼失から70年以上経ていることを考慮すると、少なくとも断定的な表現は避けるべきではないかと考えるところです。 
 
さらに、今回の調査で大仏寺所蔵史料の中に初代大仏の大きさを「四丈五尺」(約13.6メートル)とする記述(「大仏再建旨趣」左図参照)を見出しています。その史料の作成年は『高岡市沿革志』の刊行から12年後の明治40年(1907)でした。果たしてどちらが正しい数値だと言えるでしょうか。
 
このように、大きさ一つを取ってみても、一般に公表された数字が必ずしも確実な「事実」とは言い切れないところがあります。そして、これと似たような事柄が高岡大仏の周辺にはさまざまに存在しているように感じられます。
 
初代大仏の建立から260年以上を経過した今日、今一度事実の掘り起こしと検証を行ってみる価値があると考えました。