証文雛形のうち「御蔵札差宿頼証文之事」一部 (幸田成友『日本経済史研究』p151より)
御蔵札差宿頼証文之事
また右の「御蔵札差宿頼証文之事」という資料からは、旗本・御家人の虎の子である「三季御切米并に毎月請取候御扶持」を札差に押さえられ、札差を通さずに直接御蔵から払い出しを受ける「直請取」を行わない旨誓約をさせられ、さらに「末々家督代替に相成候共、此証文永々相用可被申候」として、借財した当人から次の代に家督が移ろうとも、札差からの借金は返済していくことを確約させられている札旦那の姿を見て取ることができます。
「先年父の跡をついだ時に先祖から伝わる借金があって、数年先の俸禄まで金貸に担保となっていることを知った」と記す大田南畝のくやしい思いが伝わってきます。
浅草蔵前
しかし冷静に考えてみれば、「貢米や納米で農民を苛斂誅求した武士階級が都会地に於て今度は逆に札差の為めに武士が商人の私曲横暴に遭うという現象を生ずるに至った」(鈴木直二「増補 江戸における米取引の研究」より)という見方も頷けそうです。士農工商という身分の序列とは裏腹に、武士と商人の力が逆転する姿を見せつける歴史の舞台が浅草蔵前であり、その主人公が札差だったことに認識を新たにします。
蔵前には、全国から集まる米を荷揚げする者、それを検査し御蔵に収め蔵米取たちに支給する者、蔵出しから換金までの仲介をなす者、蔵米を担保として金融を行う者、そして札差たちが始終利用していた水茶屋に集うさまざまな人びと……。浅草蔵前は、御蔵前にある江戸で最も活気ある場所の一つだったと想像されるのです。